「向かいの窓」とジョヴァンナ・メッゾジョルノ

 前回のエントリーでも触れた、ジョヴァンナ・メッゾジョルノの「向かいの窓」。私が初めてこの映画を観たのは、2年前の5月に行われたイタリア映画祭
 イタリア映画といえば、「ニュー・シネマ・パラダイス」と「ライフ・イズ・ビューティフル」ぐらいしか観たことのなかった私が映画祭に足を向けたのは、その秋からイタリアへの語学留学を控えていて、とにかく"今のイタリアの現実"を少しでも知りたいという不安からだった。「向かいの窓」を選んだのも、たまたまその日仕事が休みで予定もなかったから。
 確かあのときはイタリア語音声に英語字幕で観たような記憶がある。つたない語学力では当然理解できず、英語字幕を必死に追っていたような。最初は筋が読めなくて混乱したけど、次第に画面に惹きつけられた。話が分かるようになったのではなくて、ジョヴァンナ・メッゾジョルノの瞳の力に惹かれたのだった。

 イタリア映画祭2004の作品紹介を読むと、

昨年のイタリア映画祭で『無邪気な妖精たち』が絶賛を浴びた、トルコ出身のオズペテク監督の新作。夫との生活に不満なジョヴァンナは、アパートの真向かいに住む青年に心を惹かれてゆくが・・・。この2人を演じるジョヴァンナ・メッゾジョルノとラウル・ボーヴァの美男美女ぶりに注目。過去を持つ老人を演じる名優マッシモ・ジロッティの遺作となった。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞最優秀作品賞、主演女優賞など国内映画賞を独占。


となっていて、最初はいわゆる不倫モノかと思っていた。でも実際は、ジョヴァンナと、痴ほうのために記憶があいまいになり、ローマの街で迷っていた老人との交流がメインの話。いろんな現実的な問題から夢を、生活をあきらめようとしていた一人の女性の再生の話であって、青年はそのきっかけのひとつに過ぎない。そしてジョヴァンナの瞳は序盤の子供や夫、仕事を見ているようで実際は何一つ見えていない、ガラス球のような瞳から、一人の人間としての意思のこもった瞳へと生き返っていくようだった。

 彼女ほどの現実は抱え込んでいなかったものの、やはり生活に疲れて、そこから何とか抜け出すために留学を決めた私にとって、観終わったときこの映画は特別なものになった。その後イタリアに渡って生活にも慣れ始め、ちょうど少し気が緩み始めたころ、何とはなしにつけっぱなしにしていたテレビでこの映画が放映されていた。"しっかりしなさい"、といわれているような気がした。

 イタリア映画に詳しい友人の話では、カメラワークに特別なものがあるわけでもなく、話も筋もやや強引なきらいがあるとのこと。確かに、老人の正体と彼女の夢がリンクするところには、うまく行き過ぎるという点もあるかもしれない。でも、人生には時としてそういう機会もあるのではないかと、私は思う。それに気づいて、手を離さないことこそ大事なことなのではないだろうか?そして、この映画はそれを伝えようとしているのではないかと思う。

 日本では以後上映されず、DVDもイタリア書房で輸入されたヨーロッパ規格のものしかない。と思っていたら、なんと明後日の3日から、CSのシネフィル・イマジカで放送されるらしい。

 CSが観れる方は、ぜひ。

 観れない方も、製作プロダクションのサイトと、アメリカ公開時のサイトがあるのでよければ。製作プロダクションのサイトのトップページで流れる音楽はテーマ曲なのだけど、ちょっと、心揺らされるいい曲なので、一聴の価値ありです。サントラはアマゾンで手に入るみたい。