デンマーク風刺画問題。

 デンマークの出版社が昨年末に自紙に掲載、その後確実に広がりを続けていたイスラム風刺画問題がここにきて引き返せないものになってきている。
 日本では、「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」というブログが問題の初期から追いかけていらっしゃるが、ここ数日、小林さんの中でもこの問題のウェイトが急速に増しているのが、エントリーの内容から見て取れる。

 詳細は上記ブログを読んでほしい。「圏外からのひとこと」といった、メディア問題を扱うブログや、大手新聞やテレビといった他メディアがいくつかこの問題をやはり取り上げ始めたが、問題意識と分析、情報量ではやはり小林さんのものがずば抜けている。

 それでも乱暴にまとめれば、
デンマークの新聞がターバンが爆弾状になったマホメッドの戯画を紙面に掲載。表現の自由を主張。

デンマーク国内のイスラムコミュニティが抗議

イスラム諸国政府がデンマーク政府に抗議

デンマーク政府、問題放置

イスラム圏でデンマークへの反感広がる

・欧州各国メディアがデンマークの風刺画問題を報道と同時に、実際に風刺画を掲載

・ますます加熱

・声明ではなく、各国でデモも含めたイスラム教徒の抗議行動が顕在化

アフガニスタンでデモ運動に参加していた男性死亡←今ココ

 イスラムでは、預言者の顔を描くことは宗教上の罪である。これはイスラムイスラムという宗教として存在するための根幹なのだ。もともと多神教で、多くの異なる神の像を崇拝していた地域でイスラムという一神教が成立するときに定められたもの。なぜなら神は唯一無二のものであり、いくらその神に対しての敬意が深かろうが、描かれた神やその像を崇拝することは、唯一の神への冒涜なのだから。
 日本人には分かりづらいが、いくらある人物を尊敬していたとしても、その人の目の前でその人のつめの垢をありがたがって拝んでいたら、それは目の前に実際いるその人に対して失礼だろう。その人は侮辱と受け取るだろう。
 イスラムの神は、彼らムスリムのすぐそばにいるのだから、絵画や像などとんでもない不敬なのだ。
 ついでに言えばキリスト教ユダヤ教も神の像を作ること=偶像化を禁じていたのだが、布教の際の「わかりやすさ」を優先して偶像化を認めている。だが旧約で黄金の牛の像を拝んでいた人々をモーゼがとがめたり、イエスユダヤ神殿の軒先の商売人たちと争ったことからも、本来の意図ではないことは明らかだ。
 つまり、「偶像化」に対する欧米とイスラムの問題意識は、そもそもかけ離れたものなのだ。欧米の一般的な感覚は、イスラムの非常識なのである。

 日本ではまだ”遠い国の出来事”というスタンスが各メディアで見られる。わりと先鋭的なブログも、「小泉首相靖国参拝問題と表現の自由」と絡めてエントリーするといった、やや的外れの見解が見られたりしている。
 私はイスラムやメディアの専門家ではない、一西洋史愛好家でしかない。だが私は、この問題は欧州を中心としたキリスト教圏がイスラムに対して宗教抗争の最後の引き金を引いてしまったように思える。そうなりかねない重さだ。たとえるなら、第一次世界大戦のきっかけとなった、1914年6月28日にサラエヴォで起きた、オーストリア皇太子暗殺事件と同じぐらいのインパクトだと。
 イスラム世界の不満が、ここ十数年の欧米の対イスラム世界への政策で高まっているのは自明であり、911をきっかけにしたアフガンとイラクに対する戦争はその根を深くした。その根深さを示すのが、パレスチナでのイスラム過激派ハマスの政権獲得とも言えるだろう。
 イスラムは欧米に対して、さらに言えば欧米の背景にあるキリスト教文化に対して、深い不信がある。くわえて、現在のグローバル世界は欧米を中心とした経済でなりたっている。貧しい国の中でもっとも求心力を持つ思想がイスラムだ。イスラム圏は現在の世界システムを欧米の搾取とみなしている。
 問題は、その事実を欧米自身は認識していない、いや、しようとしていないという事だ。

 小林さんの6日付けの記事の中に、こんな一文がある。

 4日、デンマークの作家ブルイトゲン氏は、インディペンデント・オン・サンデー紙の取材に対し、「こうした政治的風刺が行われるのは非常に重要なことだと思う。『これ以降は批判するべきではない』、として、線を引くことを主張するようなイデオロギーや宗教はあるべきではない。お互いを笑いあうことができれば、融合が進み、仲間意識ができる」。

ブルイトゲン氏が対象としているイスラムの相手とは、どのような国に住み、どのような思想の持ち主なのだろう?話し合い、笑いあうためには、明確に顔の見えた相手が必要だ。が、現在ブルイトゲン氏が語り合うべき相手は預言者以上に顔の見えない、広い世界の、あらゆる階層の、欧米に対して潜在的に不信感を抱いている人たちなのだ。
 自分にとっては当たり前でも、相手にとって見れば非常に屈辱的なことがある。その一線を欧米は今回の事件で踏み出してしまった。
 そして、イスラム圏と地中海を隔てただけで多くの−イスラムだけでない−民族問題を抱えているイタリアなどではなく、デンマークという、どちらかといえばヨーロッパの奥、「ピュア」なヨーロッパでこの事件が起こったことは象徴的だと思う。多くのクリスチャンの意識を反映しているのだろうし、そうでなかったとしてもそう見られて仕方ないのだ。