いきもの、としての男と女


 たしか沢木耕太郎のなにかのエッセイに、男が集まってするテーマは、「酒に政治に女」ぐらいなものだ、というコトが書いてあって、私の経験からすると、これは8割方正しいような気がする。少なくとも20代後半の現在までそれを極端に裏切ってくれるケース、たとえば地球の温暖化について何時間も話し込んだと言う記憶はない。
 ところが女友だちと話すとテーマは男とがらっと変わる。

「お菓子に貯蓄に男」とひっくり返すこともできなくもない。でも女の子のテーマは男の子よりももっと広い範囲で、それでいて現実的に細かい。お菓子に使われている素材のカロリー計算から、最近はじめたホットヨガの教室に話は移り、そこのインストラクターが23と若いと言えば効果的なキャリアの話になり、みんなの平均年収を話せば彼氏の年収が低くて結婚できないと言う子が現れ、いやキャリアもいいけど今はロハスな生活が一番で…、などなど。男の子たちがポカリスエットのCMの女の子から天海祐希まで理想の女性像について熱く語り続ける1時間の間に、女の子たちの会話は二転三転、七転八起。
 ただそうした一見とりとめのない話題の中にも「結婚」というものは常に意識されている。結婚肯定派も否定派もそこはおんなじ。
 そしてそこには子どもを持つ、と言う意識がさらに隠れている。ふと、もれる「体力の低下」ということばから続く話題は決まって「出産」だったり。
 こんなことを言ってしまったらジェンダーフリーを志す人たちにしかられてしまうかもしれないけど、やっぱり、男は女とは違う生き物なのだと思う。男は年をとってもあまり自分の精神的、肉体的な成長を強要されないけど、女は違う。体力がなければ出産は苦しいし、子育てはつらい。福祉社会はいまだやってこないのに、仕事のノルマは上がるばかり。ならもっとしっかりしなくては!
 女も男も、夢見るいきもの。でも女は現実的に、夢を見る。