国立の三角駅舎

 もう何年も前、志望大学をすべて東京の大学にしたのには2つ理由がある。ひとつは、当時うちの田舎には映画館がなく、何キロも離れた隣町の2つの映画館も小さい上に、私の好きなインディペンデント系の映画が上映されることが皆無だったこと。もうひとつは、何時間も長居して読書をしたり勉強をしたりできる落ち着いた喫茶店がなかったこと。

 だから上京して一人暮らしをはじめたときは、うれしくてうれしくてたまらなかった。小さな映画館を回って、上映終了後に近くの喫茶店やカフェでパンフレットを開きゆっくりできることの幸せといったら!あこがれの岩波ホールや、御茶ノ水の喫茶店さぼうる。渋谷のシネマライズに、代々木公園近くのカフェビル。そして新宿で映画を観た後は、中央線沿線の駅で降りて、昔ながらの純喫茶を開拓していった。時には自分の駅を通り過ぎて、三鷹や小金井、国立にも足を伸ばして。

 そんなお気に入りの喫茶店のある街並みが、再開発で少しずつ、最近変わり始めている。たまに上京して記憶をたどりながら路地を曲ると、あるべき場所に見慣れた看板はなく、代わりにマンションが建っているようになってきた。寂しいけれど、しょうがない。それだけ、年を取ったのだもの。

 でも、この記事を見たときは、寂しさというよりも驚きでいっぱいになってしまった。

 この国立で、中央線の高架化のために駅舎保存をめぐって大騒動がおきています。数年前の「開かずの踏み切り事件」でもわかるように、渋滞の元、事故の元になるJRの幹線(の踏切)には高架が不可欠です。
 それがわかった上で、国立市、そしてこの街の景観を守りたい多くの市民は、国立のシンボルの駅舎の保存を求めています。JR東日本は金はないが、保存にも反対もしていないので、お金さえ調達できるならば、協力してくれると思われます。
 そこで東京都は曳き屋で駅前の円形広場に移動する費用6,000万円を用意し、後は、国立市が設計委託費400万円を用意すればよいというところまで来ました。ところが、国立市議会がそれを否決してしまいました。

 阿佐ヶ谷や高円寺のような、若者の活気といかがわしさにみちた雰囲気とはうって変わった、国立の静かな雰囲気。あれは、あの駅舎があってこそ成り立っているものだと思う。つっぱってなんとか暮らしていた田舎者の私が、慣れない都会の生活に疲れたとき、ふと訪れていたあの街並みが変わってしまう。

 会の事務局長、中町仁治氏は「我々は、何ら政治的な団体ではありません。それだけに市議会の政争に巻き込まれているようで嫌な話ですね。私たちはこの駅というよりこの街の景観として、三角の屋根の駅舎が必要だと思っています。そう思っている人が多いので保存に反対する人が少ないのです。だから、建物としての魅力は別として、小金井(江戸東京たてもの園)や犬山(博物館明治村)ではなく、あの場所に建っててもらわないと国立市民には存在価値がないんです。」と言ってます。

 次に上京したときは、国立の、いつも行っていた喫茶店に行こう。