表参道

 4月にイタリアへ向かう準備を再開して、日々にはりがでてきた。まだ住むところも決まっていないし、それどころかビザも取れていない。ただ新しい街、新しい大学で好きなことを学ぶことができる。
 ふっ、と、こんな感覚いつ以来なのか考えた。ちょうど今から10年前、大学のために上京の準備をしていたとき以来。


 10年前、それまで上野の美術館に展覧会をひとり観にいくことはあっても、原宿や渋谷、新宿に降り立ったことは小学生以来なかった。はじめて渋谷に降り立ったときは土曜日の夕方で、小雨が降っているのにハチ公口スクランブル交差点は人であふれかえっていた。一緒に上京した友人と二人、「今日はいったい何のお祭りがあるんだろう」と話したのを覚えている。私の田舎でそれだけの人が集まるのは、お盆のお祭りとお正月のときの神社ぐらいだから。わたしたちのどちらもスクランブル交差点の渡り方がわからなくて、10分ばかり荷物を抱えたまま交番前で立ちつくしていた。

 杉並に住んでからは、大学が始まるまでの毎日、都内をまわった。阿佐ヶ谷、高円寺、吉祥寺から下北沢、池袋などなど。そして、表参道。
 どこも人であふれかえっていたのはいっしょだけど、私は表参道が好きだった。大学から比較的近かったこともある。80年代の香りを残したバンブー・カフェのテラスとサンドイッチ。裏通りにある木造りの喫茶店。それにツタのからんだ同潤会アパートと並木道が、中学校2年生になるまで住んでいた、築何十年かわからない父の会社のアパートの雰囲気に似ていた。そっとアパートの裏に入ると、表通りの喧騒が遠くになって、階段のそばに立てかけられ、原色で彩られた三輪車とあちこち伸びた雑草のコントラストが、おだやかな気持ちにしてくれた。

 この前上京した際、安藤忠雄が設計したヒルズの前に立ったとき、そんな10年前の光景を思い出した。大好きなはずの安藤建築。でもヒルズの中に入るのではなく、私の足はその横にひっそり残された同潤会の階段に向かった。真新しい白いペンキ、取り替えられた真新しい階段の手すり。
 このあたらしい建物に、また私とは違う表参道の思い出をたくさんの人がつくるのだろう。そして私も、あたらしい町で、あたらしいなにかと出会うのだろう。充実した時間を過ごそう、これまでの10年がそうだったように。それ以上に。