珈琲と小川と本と。

 めずらしく何もない休日。こういった日はついごろごろ無気力に過ごしてしまいがち。こんなんじゃだめだ!と思い、iPodを抱えて街へ。村治佳織のギターが心地いい。足の向くまま気の向くまま、市内を流れる清流沿いに自転車を走らせ、ちょっと一息つきに図書館へ。ついつい気になる本をてにしてしまい、両手いっぱいに抱えた本を結局借りることに。パンパンに膨らんだリュックを抱えて、駅の近くの小川のそばに建つ、以前から気になっていたカフェへ。アンティークの家具に棚を埋め尽くすレコード。ドリッパーごと出されるコーヒーのちょっとだけ酸味の利いた香り。大正解。借りてきた本をオレンジ色の卓上灯の前に積み上げて数えてみる。12冊。とりあえず午後は長い。まず最初に講談社選書メチエの「イタリア的 ―「南」の魅力 (講談社選書メチエ)」に手をつける。

 この本、以前から知ってはいたのだけれど、どうもそのタイトルから避けてしまっていた。最近のイタリア、とタイトルにつく本は、ほぼイタリアのファッションや食、ワインといった「きれいな」ところしか扱ってないような気がする。実際に生活してみると、そんな日本で扱われている「イタリア」というものはごくごく一部の世界でしかなくて、日本に氾濫しているイタリア像に夢を託して渡伊した人の中には反動からかイタリア嫌いになってしまう人もいる。だからこの本もそんな巷に溢れるガイド書かと思っていたのだけれど、現在ペルージャに行っている友人からそうでもないと教えられて、俄然興味がわいた。 ざっと読むと、内容は食、宗教、歌、政治といった一般的なものを確かにあつかっている。でもその切り口は新鮮。著者のファビオ・ランベッリが日本在住のイタリア人であるせいか、意図的に日本で、いわばメジャーなイタリアのテーマを選択し、そのなかの通常語られることのない部分を描き出している。ただ彼が比較文化、思想系の文化記号論者であるせいか、意味するものと意味されるもの、たとえば食ならば、パスタとパスタの持つ文化、歴史的「意味」について掘り下げる、というような語りが多いので純粋にイタリアが好き!と言うような人にはちょっと読みづらい本かもしれない。ただこうしたウンベルト・エーコに代表されるイタリアの記号論的、というか構造的思考と言うのはイタリアではメジャーな考えなので、こうした考え方を身につけておかないといつまでもものごとのうわべだけを見て、その背景を見抜くことはできないのかもしれない。
 歌では伝統的なナポリカンツォーネではなく、あえて日本ではマイナーな現代イタリアンポップスを取り上げる。そのなかでさらっと著者が述べるJポップ批判には、それは違うのではない?と思わずにはいられないけれど、イタリアそのもののポップスと文化的背景は中世詩なんかもひっぱってきておもしろい。その真偽は別として。
 政治ではイタリア戦後政治の流れがすっきりとまとめられていて、いわば超人、ユートピアを求める大衆をうまく操作した結果としてのベルルスコーニ政権が説明されていて、なるほど、とうならされた。ほんとうにイタリアの政治と言うのは向こうで毎日生活して新聞を読み、イタリア人に話を聞いても聞けば聞くほどわけがわからなくなってくる奇奇怪怪なものなのだけれど、文化史、思想史の流れの中で捉えると意外なほどすっきりする。少なくともこの本を読むとそう思わされた。これは初めての経験で、感動すら覚える。
 で、私にこの本を教えてくれた友人はもっぱらこの本の中の宗教の項に興味を惹かれた。惹かれた、というか、ふりかえって日本のことを考えてみると面白いと言っていた。この宗教というものはイタリアの生活と切っては切れないものだし、この今書いている文章を友人もみるはずなので、少しばかり私の視点を以下につらつらと書いてみたい。

 友人たちと話題に上がったのは、この本にも書いてあるとおりカトリックの母国と思われてるイタリアでも実は信仰をもっている人は少ない。特に若者の感覚は日本人とあまり変わらないのでは?ただ文化のなかにある宗教起源なものに関しての自覚と知識は、圧倒的にイタリア人のほうが高い。
 ではこうした自覚の差はどこから生まれてくるのか、というのが友人たちとの議論。
 イタリアでは、高度経済成長によって崩れてきているとはいえ、さすが生まれながらにしてコムーネ(自治体)とキエーザ(教会)の2重のコミュニティに属する。キエーザ・コミュニティの活動がまだ生きていて、宗教と生活が密接に結びついている(信仰は別。信仰と別に宗教は成立しうると私は思う。長くなるのでここでは割愛)。
 日本の場合、地域に密着して存在した宗教のコミュニティは、戦前までに国家に統合された。そして敗戦。地域に自治体は存在するが、宗教のコミュニティは戦後その求心力を失って、そうした宗教コミュニティが持っていた役割を自治体が背負うようになった。
(と思う。日本史が専門ではないので実のところ良くわからない。でも戦後の復興の話の中で地域のコミュニティに寺社仏閣がはたして役割について、これまで聞いたことがない。イタリアではすぐさま宗教界はキリスト教民主党のようにその代弁者を見つけたと言うのに。政教分離政策が戦後直後はそんなに徹底されたのかな?中央ならまだしも、地方のレベルまで徹底されたとはとても思えないのだけれど?)
 うちの親の話では、彼らの小さい頃はまだお寺で講話や映画の上映会がしょっちゅうあったらしいけど、やがて消えていく。そういった集いやボランティアとか地元の青年団とか、イタリアならキエーザが担うものなのだけど、日本ではそうした様相を見せない。そこに高度経済成長によるコミュニティの崩壊が来ると、人々は地元で、寺の場合は講話会、神社の場合は氏子の集いと言ったようなものに物理的に参加できなくなり、現住所のそうしたコミュニティに参加しようとしても現住所のコミュも人が減って活動ができなくなってくる。そうするともう文化としての宗教についての知識を学ぼうにも学べないわけで、儀礼としての祭典は完全に形骸化、というかイベント化していく。そうすると他所の、キリスト教や中華圏の宗教儀礼が入ってきてもイベントとして受容する分には何も抵抗がなくなってくる。それがたびたび批判的に言われる、日本人の宗教への鈍さにつながっていくんじゃないだろうか?

 などと考えながら読みふけっていると、お店のマスターから閉店を告げられる。外に出るといつのまにか日も沈んで、秋というよりももはや冬の凛とした寒さに身震い。ジャケットのボタンを首まで閉じて家路へ。久々に仕事から抜けきった、いい休日が過ごせた。

イタリア的 ―「南」の魅力 (講談社選書メチエ)

イタリア的 ―「南」の魅力 (講談社選書メチエ)