ユーロスターのなかで寝てもいいか?

パンのようにおいしいイタリア人
 日本でイタリア現代小説はあまり知られていないけれど、イタリアでは本屋に行けば必ずと言っていいほど日本の小説の翻訳を見つけることができる。大型書店でよしもとばなな村上春樹を置いていないところはまずない。
 そのよしもとばななのイタリア語翻訳を多く手がけているアレッサンドロ・G・ジェレヴィーニのエッセイ、「パンのようにおいしいイタリア人」を読んだ。この本であらためて知った日伊の慣習の違いがけっこうあって、文化の差というのはいつになったら乗り越えられるのかとちょっとめまいが。

 なかでも「エキゾチックな日本のワイン」と「人前で寝る技術」を読んだときは、わが身を振り返って大いに反省。
 「エキゾチックな日本のワイン」では、老若男女、夜の盛り場であまり人目を気にせず酔っ払う日本と、お酒の国のイメージがありながらそうした酔っ払いのいないイタリアについて語る。

そうした行為は一種の弱点だとみなされてしまうため、たとえたまにそういうことがあったとしても、人前であまり告白したりしない。いわゆるubriachi(ウブリアーキ/酔っ払い)に対する周りの人々の態度も、日本ほど寛容ではない。

 「人前で寝る技術」では次のように人前で寝ることに対するイタリア人の価値観を語る。

「寝る」という行為は、自身の極めてプライヴェートな部分である。したがって、なるべく他人に見せたくない。

 それでも寝てしまう人は抑制力のない人として、いわば「ばか」だと思われてしまうとのこと。

 ハタチのころ、ドイツ人、スペイン人と真夏のローマで毎晩夜遊びをして、クラブを回ってお酒を大量に飲んで酔っ払い、ヴェネツィア広場でボン・ジョヴィを合唱。あるときなぞ終電の地下鉄でたっぷり寝過ごしてしまい、パンクなイタリア人の若者に”Stai bene?(大丈夫かい?)”と起こされたこともある私・・・。いえ、若気の至りとはいえ、これまで普通に思い出しても恥ずかしかったことが、この本を読んでさらに、とてつもなく恥ずかしくなりました・・・。
 いまはそんな飲み方しませんよ。「紳士」とラテン系の友達に呼ばれていたぐらいですから、えぇ。